“北海道南西地震で、とくに大きな被害を受けた奥尻島青苗地区の津波災害について、 東京大学社会情報研究所の廣井研究室によって、 亡くなった人、 助かった人がどのような行動をとったかを調査報告されています。
その報告によると
亡くなった人の大部分は、体が弱っていて走ることが
出来無かった人、津波がそんなに早く来るとは思わなかった人、家族全員で逃げようと誰かを待っていた人、動けない家族をおいてゆくことができず家に留まっ
た人、車に家財を積んで逃げ出すのが遅くなった人、まだ大丈夫だと車を取りに行った人、近所に注意を呼びかけ一緒に逃げようとした人、貴重品を取りに家に
戻った人、でした。
さらに細かく生存者の話を聞いています。助かった人は、風呂上りにバスタオル一つで逃げた人、財布一つ握って着がえもせずに全速力で走って逃げた人、家財道具はもたずに真っ先に高台に車を走らせた人、でした。
助かった人と犠牲になった人の差は、高台に近いか遠いかではありませんでした。高台から一番遠いところの家の人が助かっている反面、高台に最も近い一角でも逃げ遅れて亡くなった人がいます。
何が生死を分けたか
奥尻島ではこの地震の10年前、1983年日本海西部地震で津波被害にあっています。そのときは地震があってから30分後に奥尻島は津波に襲われました。
この経験がどう生かされたかが、とっさのときに生死を分ける行動となりました。
助かった人は、地震が10年前の地震より激しかったことから、これは10年前の地震よりもっと大きな津波が来るに違いないと判断して、とるものもとりあえず全速力で走って高台に逃げました。
逃げ遅れた人については、生き残った人の証言から推測すると、10
年前の津波は地震を感じてから、30分後にやってきたので、こんども30分くらいあるだろうと考えたようです。そのため、ゆっくり歩いて避難したり、途中
で何か取りに帰ったり、自動車に家財を積んでいたため逃げ出すのが遅れ、島の狭い道が渋滞して動けなくなり、車のまま津波にのまれ犠牲になってしまいまし
た。
このとき偶然居合わせたNHKの取材班のカメラには、暗い中を歩いて避難している人々が撮影されています。このなかで犠牲になった人があり、このシーンはすぐに放送されなくなったそうです。
”